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【選択肢】 『自死』か『時間』か


苦しくて、死にたい、死んだほうがまし、と思うほどの切羽詰まった状態であっても、全く選択の余地がないというわけでもない。
しかし、周囲を見渡す余裕などない本人にとって、それを見つけるのは非常に困難だ。


もちろん、即効で救われる、というようなマジックはないが、確実に存在するもの、存在の全てに関わること、それが『時間』。
時間の経過によって変わらないものはない。
人も老いていつか死んでいく。
完璧に見えたものでも完璧ではなくなっていく。


自らの病気であれ、身近な人が亡くなったことによる深い喪失感であれ、
まだ生きて息さえしていれば、それがいつかはわからないがそのうち、山を超える(危機を脱する)時が来る。
全てが突然去ってしまったと思える時にも、時間は全ての物事を変えていく。
去っては現れ、現れては去ってゆく。
死にたくても死ねなかったり、また、死にたくなくてもそのち死んでしまう事は確実な真実だ。


…こ
で初めて、時に身を任せてみてもよいかな、となる。(普段は聞きたくない言葉だが。)身を任せる、といっても、実際に寄りかかれる、というわけでないので、意味がよくわからない。


それは、急いで自死することにばかりこだわるのでなく、もうひとつの確実な死の案内人時間というものがあることを発見するということだ。 時間は死神あり、また、生命そのものである

時間について考えていると、そのうち、何かに気づくかもしれない。
 

時間の経過による痛み(身体的、または心理的に)が苦しすぎるので、すぐに死んだほうがマシ、というのが、大半の自殺者の最後の心境だろう。
多額の借金というのも理由になり得る(00〜300万円くらいの借金苦でもあり得る

または『うつくしい天国』を夢想し、汚いこの世におさらば、という向きもあろう。
パートナーを失い、心理的に片輪になってしまい、絶望して、という理由も多いかもしれない。
 

私は身近な人を亡くして絶望約5年間、自殺企図を繰り返した過去がある。


しばしば衝動的に、また、更に気力があれば、計画的に。そして5年後、その時の自分的には完璧と思える計画を立てて、遂行したが、不思議なことに朝方に知り合いが来て(誰も来ない時間と思って設定していたのだが)病院に運ばれたために死ななかった。

遂行後、天井まで吹き出した血まみれの部屋の中で、これでやっと行ける、、、と、解放された気分だったのを覚えている。 病院に運ばれなかったら、あのままいけたのだ。

…助かってしまってからは、もう二度と計画的な自殺企図はしなくなった。(この間衝動的に首を釣ってしまったのは、またあらたな理由によるので置いておく。)
どうせいつか死ぬ。もう自分は死んだものと思って自らを酷使してやれば良い。そう思い、昼夜
2つ仕事をもち、夜は学んで遊び、睡眠時間は3時間以内と決めて過ごした。
その間2年くらい、頭はぼーっとしていたが、生活はスパルタであった。
酒もタバコも(5年は完璧に)やめてジョギングを始めた。

ジョギングが習慣になって、フィットネスに通いだし、徐々に健康になっていった。


擬似死後、生まれ変わった自分に、結構満足していた。以前よりも良い状態になった事は確かだ、と。

これで、過去に
自殺企図などしていなかったら、傷も残らず…と思うこともあったが、過去の自分は後を追って自死したのだ。 傷は、同じ体で2つめの人生を生きているという奇跡の証拠なのだ。


…次回は自殺について、『自殺は罪』について、思うことを書いてみたい。(以前書いた気もするが、おそらく書いていない、とおもわれる。)











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